こんにちは。
亀戸大道芸代表のハードパンチャーしんのすけです。
亀戸大道芸へのご支援、いつもありがとうございます。
亀戸大道芸を引き継いで一年が経とうとする今の気持ちとして、
亀戸大道芸が目指すもの
について残しておきたいと思います。
亀戸大道芸のフィナーレの挨拶として度々述べていることなのですが、亀戸大道芸は4つが集まってつくられています。
- 亀戸のまち
- 観てくれる皆様
- パフォーマー
- 運営
それぞれに対してお伝えしたい気持ちは異なりますが、今回は
- 亀戸のまち
- パフォーマー
という観点に沿って「亀戸大道芸が目指すもの」について述べます。
と言っても、両者は密接に絡み合っています。
絡み合う背景を理解しやすくするために、「歩行者天国」について、まず考えましょう。
歩行者天国とは何か
高度経済成長時代に、増加し続ける自動車により交通事情が悪化して行きます…交通事故の増加・環境の悪化など…都市から人間らしさが失われたことへの解決策の一つとして、歩行者天国は生まれました。
自動車から空間を取り戻し、ひとが安心して過ごせる公共空間として開放する。
東京では、今から50年くらい前、1970年に大規模な歩行者天国が始まりました。
※歩行者天国が銀座で始まった時のニュース映像はこちら。当時の歩行者天国の様子が垣間見れるので、ぜひ観てみてください。
ひとが自由にまちを楽しむ場所として、歩行者天国は機能して行きます。
その結果として、歩行者天国は、自由な表現をする場所という一面を持つように変化して行きます。
竹の子族、ストリートミュージシャン、大道芸…
しかし、そのような活動の中で「自由」をはき違えた人たちが現れる。
大音量によるパフォーマンスは、周囲のひとへの迷惑となり、
法に触れる行動をするひとも現れる。
公共の場であるという意識が希薄になり、パフォーマンスをするひとのモラルが社会的に問われました。
それが、歩行者天国での表現活動の衰退の一因になります。
また、社会情勢の変化もあり、時代が平成になる頃からは様々な事件とともに改めて管理を重視する社会へと、全体が変容して行きます。
そういった中で、歩行者天国が犯罪のターゲットになったりすることもあり、かつてあった歩行者天国は廃止されることが増えて行きました。
歩行者天国と大道芸
ここからは個人的な印象の話になるのですが。
僕がジャグリングに出会った頃、1995年くらいでしょうか。
その頃は、歩行者天国…記憶にあるのは、新宿、渋谷、銀座…などで、大道芸が行われていました。それらは、警察の取り締まりの対象になったり、土地を仕切るひととの折衝があったり、、、いろいろあったようなのですが、まちの時間の隙間を縫うようにして、歩行者天国での大道芸が確かにありました。
実際、僕自身、大道芸の道を歩くようになった時に、そのようにして歩行者天国に立ったこともあります。(僕の場合は、歩行者天国よりも公園であったり、駅前がメインでしたが。)
そして、2002年。
東京都により大道芸にライセンスを与えるヘブンアーティスト制度が始まります。
それ以前にもライセンス制で大道芸を許可する場所は存在しましたが、
東京都が大道芸を認める、ということでヘブンアーティストの実施は大きなインパクトがありました。
今から思うと、路上文化の意味は、ここを潮目にして大きく変化し、「大道芸人」のあり方も、「温室栽培」のようになったように思います。
※現在もライセンスに頼らず、路上での活動を行っているひとはいます。
※また歩行者天国を背景にした犯罪が起こった事により、歩行者天国の管理や廃止が行われ、歩行者天国が大道芸に「適した」場所ではなくなったということもあると思います。
ヘブンアーティスト制度発足当時、大道芸人である雪竹太郎さんをはじめとして「管理された大道芸」に批判の声はありましたが、月日は流れ、現在は、管理された「大道芸」がひとつの在り方として根を下ろしています。
歩行者天国についてのまとめ
- 歩行者天国は、安全で豊かな生活空間を都市に確保する目的でつくられた。
- 歩行者天国は、一時文化的な活動の場として機能し賑わいを創り出すも、そこに集う当事者のモラルの低さや犯罪の発生により、場が失われていった。
- ライセンス制が広がり管理された大道芸が広がることにより、また社会の変化により、都内において歩行者天国は大道芸の活動の場所としての存在感が希薄になった。
亀戸大道芸を運営して感じたこと
ここまで歩行者天国という視点から、日本の大道芸の一面をざっくりとではありますが、見てきました。
ここからは、この一年「亀戸大道芸」を運営してきて感じた「大道芸文化とは」ということを書きます。
歩行者天国からは、まちの顔が見えます。
まちにどんなひとが住んでいて
どんなひとがまちを訪れて
まちでどんな営みがされているのか。
ひとのために開放された都市の公共空間である歩行者天国は、同じく公共空間である公園とはまた異なるまちの顔を見せてくれます。
亀戸大道芸を通して、亀戸の一年を振り返ると、亀戸天神を始めとした寺社の門前町のしての色合いを強く感じます。四季折々の行事があると、他所から多くのひとが亀戸に訪れます。
また、寺社の文化・歴史から育ってきた、老舗のお店があり、お祭りがあり、昔からのコミュニティーがまちを支える土台となっています。
亀戸に並ぶ店舗に関していえば、老舗の存在感とともに、新しい力も感じます。
今まで関わった方々の中からは、亀戸で育ち、他所に出て、そして亀戸に帰ってきて店を構えた、というケースを少なからず聞きました。
そんなひとたちからは、
「亀戸を盛り上げたい」
という言葉をしばしば聞きます。
それらは、多分、亀戸が築いてきたコミュニティーがあってこその言葉だと感じました。
まちへの愛着ということで言えば、ご老人に亀戸ではよく会います。
そして、行っている大道芸の活動に対して、暖かい視線や言葉を投げかけてくれます。(もちろん、みんながみんな諸手を挙げて賛成しているわけではないとは思いますし、その可能性はいつも忘れてはならないな、と思います。)
そこにも、亀戸への愛情を感じます。
一方で、亀戸にある飲食店などのラインナップを見てみるとよくわかるのですが、亀戸には外国人もたくさん生活しています。
大道芸には、子どもたちが集まります。その中にはいろんな人種が集まることがしばしばで、日本で生活しているひとたちにせよ、こうしていろんなひとが集える場所として大道芸があることを、大道芸に携わる身として嬉しく思います。
歩行者天国という特性で、車椅子の方が伸び伸びと道を行き、楽しむ姿も見かけます。
歩行者天国…ここはまちの姿を反映して、自由にひとが通り、過ごす、そんな場所なのです。
そんな中で開催する亀戸大道芸。
そもそも大道芸/大道芸人とは。
昔の話(江戸時代よりも前になりますが)をすると…
大道芸人は、まちとまちを渡り歩き、芸で生計を立てるひとたちでありました。
単純に、同じ場所で芸を続けていたら、飽きられる…ということもあるでしょうが、渡り歩くそのスケジュールが、まちの季節を告げるものになっていたこともあるでしょう。
盛り場では、人気が出れば、小屋掛けをして長期公演を行ったりもあったようです。亀戸からおおよそ2キロほど西に行った両国橋の袂では、数々の大道での芸能が大いに流行ったとのことです。
いずれにせよ、大道芸とは、まちのひとにとっては、非日常であり、ハレの日に楽しむものであり、特別な時間でありました。
多かれ少なかれ、大道芸とは、非日常性を含みます。
ハレの日とは、日常とは異なるものです。かといっても、なんでもかんでも許される道理はなく、まちの視点に立てば、そこには「他所者」をみる視点が根底にあります。
※それは、まちが主催しているイベントでも同じことです。(主催がどこかに関わらず、クレームはしばしば寄せられます。現在、全員が納得するイベントは少なくなっているのも背景にあるでしょう。)
言い方を少し変えると、大道芸は「異物」であります。
もちろん、定期的に開催される大道芸の場はありますが、それはハレとしての存在です。
この一年を通して、大道芸人は自分がまちにとって、異物であることをしっかりと意識しないといけない。そうでなければ、異物などは簡単に排除されます。
異物としてまちの中で生きる/活きるためには、大道芸人のモラルが求められます。
実際の例を見てきた感想を述べると、大道芸の場所がなくなる時、そこには大道芸人のモラルの低下がありました。
音量問題をはじめとした公共であるはずの場所の私物化、犯罪を引き起こすような空気…
例えば、東京都が認可する大道芸・ヘブンアーティストでは、度々、ルールを遵守するようにとの注意が事務局からなされますし、実際にルールが守られないことによって活動が制限されるケースもあります。
さらに言うと、大道芸人の自分勝手な行動によって、開かれていたはずの場所が、門戸を閉ざしてしまった…と言う話も聞きます。
亀戸大道芸でも、残念なことに、昨年(2018年)は事件がいくつかあり、年末は存続の危機に陥っていました。
大道芸人は、モラルを持って、まちと接しなければならない。
まちが含む多様性の中だからこそ、異物である大道芸がまちの中で活きることがあります。
今取り組んでいる亀戸は、地域ごとの結束がとても強いように感じます。
その中で「祭り」というのは、コミュニティー内部で行われる側面が強い行事です。(観光資源としての側面もありますが。)
その地域的な背景を踏まえると、誰にでも開かれた「大道芸」という場は、コミュニティーを越え、地域を越え、亀戸に異なる方向から光を当てることができるのでは、と思うのです。
異物であることを自覚しつつ、まちの景色・風物として存在をすること。
それが大道芸の在り方の一つ。
そして、大道芸は、公共の場を使うことを考えると、大道芸人だけが良い、ということでなく…まちを応援し、ともに歩む存在でなければなりません。それがひいては大道芸が盛り上がることに繋がります。
その時に初めて、まちとひととを繋ぐ大道芸の場が立ち現れ、まちと大道芸の双方にとって実りがあり、ともに発展してゆく未来が生まれるのではないでしょうか。
大道芸だけで盛り上がるのでなく、まちが大道芸以上に盛り上がるように発展する…それが場所としての「大道芸」の在り方のもうひとつです。
亀戸大道芸の運営で感じた大道芸文化に必要なこと
- 「大道芸人」がモラルともに、まちに敬意を持って、大道芸を行うこと
- 場所としては「大道芸」は、まちに繋がりを生み出し、まちの展開にポジティブな影響を与えるもので在ること
亀戸大道芸が目指すもの
ここまで長々とこの文章にお付き合いありがとうございました。
- 歩行者天国の意義とは
- 亀戸に関する個人的な感想
- 大道芸に大切なもの
と言うことを述べてきました。
最後に…
この一年、試行錯誤を重ねつつ、亀戸に大道芸の場所を根付かせるために回数を重ねてきました。手応えを感じつつも(いつも応援してくださる皆様、ありがとうございます)、まだまだこれから、と思う部分も多々あります。
そんなことを踏まえて、これからの亀戸大道芸が目指すものを2019年末の考えとして、残します。
歩行者天国は、今、少なくとも東京においては、貴重な公共空間の在り方です。
そこで大道芸ができる、しかも、歩行者天国運営管理者からの許諾の下に!
これはすごいことです。
ところが、先にちらりと書きましたが、僕が亀戸大道芸を引き受けた時には、亀戸大道芸は存続の危機に面した状態でした。
ひとりの大道芸に携わるものとして言うならば、この貴重な場所を存続・発展させたい。
そのためには、参加する大道芸人が一丸となって、自分勝手ではなく、まちにとっても良い場所となるように意識を高めて行かねばなりません。
そうすることで亀戸のまちからの信頼を得ることができます。そして、その先にこそ亀戸の大道芸文化の発展があると信じています。
まずはそこから。
…今まで参加してくださったパフォーマーの皆さんの協力によって、この点はとても良い方向に進んで行っていると感じます。
本当にありがとうございます。
これはいつも忘れてはならないことだと思いますので、改めて強調させてもらいました。
今後ともよろしくお願い致します。
十分にパフォーマーのモラルが成熟した歩行者天国では、どんな景色が見られるでしょうか。
亀戸は、日常的にエンターテイメントにあふれ、そして、歩行者天国にはたくさんのひとが毎回繰り出すのです。
大道芸人は、自由に活動できる場所を得て、その力を遺憾なく発揮する。
たくさんの大道芸人が気軽に亀戸に訪れて、芸を披露する!
歩行者天国いっぱいに広がる大道芸の輪。
夜な夜な呑み屋には芸人が立ち寄り、芸を披露することで、笑顔と歓声が響く!
まちと大道芸人とが共存共栄するまち 亀戸。
…そんな亀戸の日常な非日常を夢想しています。
今は、大道芸を行うのに管理が必要です。
ただこれらを積み重ねて、
大道芸人にも
まちのひとにも
「亀戸大道芸」と言う場所がきちんと浸透した先には、管理など要らない、大道芸人が活かしてもらう/大道芸人を楽しむ/笑いあふれるまちができて、みんなで幸せに暮らせるのではと思います。
そこでは、大道芸をしないひとも、主体的に歩行者天国を楽しみ、豊かな時間を思い思いに過ごす。
そんな時間の触媒として大道芸があり、いろんなひとたちがフラットに繋がりやすい環境が生まれる。
そこには、歩行者天国が立ち上がった時に想像して描かれていたかもしれないユートピアがあるのではないでしょうか。
理想主義過ぎますかね。
2020年は、そんな理想を夢見つつ、いろいろ挑戦して行くつもりです。
それには、たくさんの仲間が必要です。
それぞれに最終的な目標は異なるかもしれません。
やりたいことも違うかもしれません。
モチベーションもそれぞれでしょう。
それでも、同じ方向を向いて進んで行けるひとと2020年にたくさん出会えたら。
そして、「亀戸大道芸」と言う場を通して、ポジティブな時間をみんなでつくれたらと思います。
「亀戸大道芸」が指す意味が、これから豊かに広がりますように。